選択の機会の数

  • こちらなどで扱っている「1番じゃなきゃ、だめなんだ、の戦略」シリーズの続き
  • これまでは、ある事態に陥って、選択を迫られることが、1回だけあるか、1度もそのような機会が訪れないか、であることを、根拠なく、前提にしていた
  • それは、一生に一度、迫られる「不治の病の治療法の選択」を出発点にしていたから
  • その前提を外すとすると、まず2つの外し方が考えられる
    • 1.同じ選択を何度も何度も迫られて、自分の選択とその帰結の情報が(他人のそれともども、かもしれない)、次回以降の選択の際に活用できる場合
    • 2.ある選択はたかだか1回しか迫られることはないが、似たような、しかし、使える情報としては独立した、選択がたくさんあって、どれか一つを迫られる可能性が高い、とか、いくつ迫られるかわからない、とか、そんな場合

自分は何番目?

  • 自分が何番目の選択者かわからないとき、と何番目かわかるとき(特に、「次が自分」のとき)とでは、「自分のみ」の『利益』に差がある
  • 「自分のみ」の『利益』を追求するなら、「自分以外」は、みんな「選択」せずに(ランダムに・計画的に)割り付けて、自分だけが、その情報を使って「選択」するのが良い(証明必要)
  • 逆に自分が何番目かわからなければ、「何番目になりそうか」の程度に応じて、「よいことがある」ような戦略が好ましい。そのとき、「選択」する順になったら、「戦略のルール」を守るべし、というプレッシャーはある
  • 「しかし」、ルールがあっても守らないことができるのが世の常。さて、ルールを守らないかもしれない自分がいるときに、どんな「戦略」がよいのか。ルールを守る自分とルールを守らない他人がいたときの「心の平安」と、ルールを守らない自分とルールを守る他人がいたときの「心の不安」と、の両方も「よさ」には影響するだろう
  • どんどん、政治的・昔話的・学級会的な悩みに発展してくる