生物現象が乗っている世界〜これはメモ

  • こちらでポントリャーギン双対についてメモしている
  • Wikipediaのポントリャーギン双対の冒頭で説明される「ハール測度」の部分を読む
  • なんだか、ごちゃごちゃ書いてあって、何のこと? と思う
  • こういうことなのだろうか。長い「本当の文章」を後に、「縮めた文章」を前に置いてみる
  • また、「縮めた文章」から『生物現象が乗っている世界』ということについてメモするに至った気持ちを、「本当の文章」の前に書いておく
    • 気分は年末。年末は頭のごちゃごちゃの棚卸が必要
AがBとなるのはCであるときであり、かつそのときに限る。
Cであると、Dであることになる。
Cであるときには、Eであって、FではGができる(というのは、すごいこと)。
FというのはHであることと見ることもできる。
このことを数学的明快表現でXと言い換えることもできる。
さらにCであるという条件よりも、強い条件Iを持ち出すと、FではJもできる。
  • 僕らが見ていたり解釈している世界では、「縮めた文章」での、「Gができる(Gとなっている)」とか「Jができる(Jとなっている)」というような部分で、それを「世界(生物界、物理界)」のルールと感じ取っている。「それがなぜなのか」、と詰めようとするというのは、「大きく考えればAであるところが、Cであるという条件があるからなのだ」というように理解したい、ということなのかもしれない。
  • 物理界のCと生物界のCとは違っている(少なくとも巨視的には)ことが、学問分野を分けているのだが、「縮めた表現」の枠で考えるときには、分かれていないのだろう
  • また、生物界というのは、世界を成り立たせているAという土台の上で、Cという条件を付けると、その上では成り立つ「生物界のみのルール」があって、そこに「完結した世界」が作れる、ということを発見したことで、発生し、生長・変化・盛衰、しているとみなせるのかもしれない
  • さらに、その「完結した世界」にまったくの綻びがなければ、生物界は未来永劫続くかもしれないのだが、「十分に素性が良い」とか「局所でコンパクト」とかのあたりで、「完結しきれていない」がために、そのうち、「生物界のみのルール」が成り立つ世界からこぼれ落ちる(生物界が消滅する)という事態がおとずれる、ことになる、と、そんな風に考えておけばよいのかもしれない
位相群が局所コンパクト群となるのはその群の単位元 e がコンパクト近傍を持つときであり、かつそのときに限る。この条件は e を含む開集合 V で、その G の位相に関する閉包がコンパクトであるようなものが存在することを意味する。局所コンパクト群に関して最も特筆すべき事実のひとつは、それが(右不変)ハール測度と呼ばれる自然な測度を本質的にただひとつ持ち、それにより G の十分素性の良い部分集合の「大きさ」を測ることができるということにある。ここでいう「十分素性の良い部分集合」("sufficiently regular subset") というのはボレル集合、つまり G のコンパクト部分集合の全体が生成する完全加法族の元のことである。もう少し明確に述べれば、局所コンパクト群 G 上の右不変ハール測度 (right-invariant Haar measure) とは、G のボレル集合族上で定義される可算加法的測度 μ であって、G の各元 x と各ボレル集合 A に関して μ(Ax) = μ(A) が成り立つという意味で右不変であり、さらに適当な正則性 (regularity) 条件を満たすもののことである(詳細はハール測度の項を参照)。群がコンパクトであることとハール測度の有限性が同値であり、一般に正の定数倍の違いを除いて(右不変)ハール測度は一意的に存在する。コンパクト群や可換群の場合には右不変ハール測度は左不変でもあり、単にハール測度と呼ばれる。