駆け足で読む東大教養囲碁講座

教科書は

東大教養囲碁講座―ゼロからわかりやすく (光文社新書)

東大教養囲碁講座―ゼロからわかりやすく (光文社新書)

幼い頃、父親が碁石と碁盤を持っていて、ときどき一人でやっていた記憶がある。父親といっしょに日曜日のNHK囲碁の時間をわからないままに眺めていることもよくあった。
高校生の頃、囲碁の強い同級生がいた。強かったらしいが、今となってはどのくらい強かったのか見当がつかない。全国大会に出場したため、修学旅行に途中から参加していた。大学からの友人で囲碁のコンピュータソフトを作っているやつもいる。
社会人になってからも、囲碁をやっている人と出会ったりして、そのたびに、囲碁の本を買ってみたり、インターネットの子供用の囲碁対戦サイトに入ってみたりした。
そのたびに、どこに打つかで途方に暮れて、放り出していた。前掲のソフトを作ったりしている友人に、この本を紹介されて、「まただよ」と思いながらも、購入して読んでみた。以前、囲碁をかじろうと思ったときの自分と、今の自分とで違うとしたら、組合せとか、順列とか、格子座標とか、確率とかばかりをいじる毎日を過ごしているかどうかだろうか。
駆け足で読んだ感想など。

p54 囲碁の碁盤は、2次元の正方格子座標で、辺縁の座標は、辺縁である影響を受けるために、囲碁の上では、特別な名称をつけて区別されている。星、小目、三々、高目、目はずし、など。
p98-p99 危険なななめと大丈夫なななめも、辺縁という特殊事情の関数になっている。
p105相手陣内に攻め込んで、結局、撃沈して取り去られてしまうときに、取り去った数と取り去るのに要した数が、地の増減に影響するわけだが、攻め込まれて、最適な対処をしたときに、高々、地が減らずにすむ、ということでよいのだろうか。
通常の盤においてつける、六目半による白黒のハンディは、盤の大きさの関数として定義されるのだろうか、それとも、盤の大きさと、プレーヤーの読みの深さの両方の関数なのか。六目半というのは、現代の囲碁打ちの読みの深さで行くと、白黒の差がこのくらいにしたときに、両色の勝率を50:50にするレベルであるとの経験値だということか。だけれども、6.5という簡単な有理数にはならないはずだから(n!とかを駆使した値になると思う)、どちらかの色が有利でもう片方の色が不利な状態が現状なんだろうな、と思う。