うまく配る〜数学的決断か政治的決断か〜
- うまく分配できないときに「政治的決着」をはかるかもしれない
- 「政治的決着」のうち、数学的に説明ができる範囲とそうでない範囲を明らかにしてから、説明できない部分を「政治的」に決着しているだろうか。それとも、「本当は説明できる部分があるのに、わかりやすく説明できないから」「政治的」に決着しているだろうか
- 「要素」が多い、「関与者」が多い、「関与者」ごとに「基準」が違う、というのは、物事を複雑にする・・・
- さて、どこまで「数学的」に決断できるだろうか
- 書きかけ
- いろいろな情報を袋の中に詰める
- いろいろな仮説に関する尤度が全部出る
- いろいろな仮説は、いろいろな仮説の組み合わせになっている
- ここで、組み合わせのもととなる「要素的な」仮説を「要素仮説」と呼ぶこととし、それらを組み合わせてできる仮説を「複合仮説」とよぶことにする
- いろんな質問が出る
- いろんな質問は、要素仮説の尤度に関するものである
- 質問者はそれぞれ、その「尤度という答え」を受け取ると、それに基づいて、要素仮説に判断を加える
- 信じるか信じないか、という判断である
- 実は、この尤度は、N個のものとN個のものの対応付け(重み付き割り付け)になっている
- N個のものAsとN個のものBsとがあったときに、AiがB1,B2,...,BNのどれか、という質問をする人もいれば、BjがA1,A2,...,ANのどれかという質問をする人もいる
- A->B, B->Aそれぞれにの質問がある
- 質問者はAi->B1,B2,...,BNというN個の尤度の値セットに対して、なにがしかの、反応をすることになっており、B->Aの場合もそうだとする
- 問題は、たくさんの質問者の判断がバッティングせずに割り付けが終わるか、である
- 重み付き割り付けに、判定基準のばらつきを入れてみよう、という話、になるかと思われる