もう一つの視覚

もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

もうひとつの視覚―〈見えない視覚〉はどのように発見されたか

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  • こちらからは、原著者英文名とかにたどれます
  • 著者の一人Arthur David Miner教授のホームページはこちら
  • データ解析としてこのことを考えてみる
  • 空間に物体がある
    • 観測対象がある
  • 光線が物体から出る(光線が物体で反射してそれが間接的に眼に届く)
    • 観測行為を行い、その結果、データが解析者に届く
  • 光を神経信号に変える装置がある
    • データを計算機で扱えるデジタル信号に変える装置がある
  • 神経信号を解釈する装置がある
    • デジタル信号を解釈する装置がある
  • 神経信号を解釈するのは、利用するため(運動するためのvisuomotorと『眺める』ための通常の意味での視覚と)
    • デジタル信号を解釈するのは、利用するため(用いて行為に移すためと『眺める』ためと)
  • このアナロジーは視覚に限らないはず
    • 聴覚・嗅覚・味覚・触覚・免疫覚(免疫系による認識)
  • 行為をなすための感覚は行為自体によって発生する感覚(触覚が最も顕著)と相互フィードバック系を持っているだろうことも、想像できる
  • 外部刺激からの神経信号のみがこのように振る舞うだろうか
    • 違うと思う
    • 各種内部センサー(血圧センサー、酸素・二酸化炭素センサー・pHセンサー・血糖値センサー)なども、「物理・化学的」測定の要素と、それを『行為(体内の各種反応)』を起こすかどうかのための信号として利用する要素がありそう
    • フィードバック系を整えているかは、それが、「フィードバック」として構築されるだけの、「生物反応上の因果関係」として「個体」が認識するくらいの「生物にとってわかりやすい関係」かどうか、によるだろう
    • 「生物が生きていくときに『因果関係』として認識できる『生物にとってわかりやすい』関係」というのは、数式的にわかりやすい関係と同じなのか違うのか、違うとしたら、どこがどう違うのか
  • 話が少し、飛躍するけれども、抽象的な(感)覚も各種内部センサーの一つのように思われる。それが「生物反応上の何かとリンクしているかどうか」が「直観的なわかりやすさ」と関係するのかもしれない