もう一つの視覚
- 作者: メルヴィン・グッデイル,デイヴィッド・ミルナー,鈴木光太郎,工藤信雄
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2008/04/20
- メディア: 単行本
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- こちらからは、原著者英文名とかにたどれます
- 著者の一人Arthur David Miner教授のホームページはこちら
- データ解析としてこのことを考えてみる
- 空間に物体がある
- 観測対象がある
- 光線が物体から出る(光線が物体で反射してそれが間接的に眼に届く)
- 観測行為を行い、その結果、データが解析者に届く
- 光を神経信号に変える装置がある
- データを計算機で扱えるデジタル信号に変える装置がある
- 神経信号を解釈する装置がある
- デジタル信号を解釈する装置がある
- 神経信号を解釈するのは、利用するため(運動するためのvisuomotorと『眺める』ための通常の意味での視覚と)
- デジタル信号を解釈するのは、利用するため(用いて行為に移すためと『眺める』ためと)
- このアナロジーは視覚に限らないはず
- 聴覚・嗅覚・味覚・触覚・免疫覚(免疫系による認識)
- 行為をなすための感覚は行為自体によって発生する感覚(触覚が最も顕著)と相互フィードバック系を持っているだろうことも、想像できる
- 外部刺激からの神経信号のみがこのように振る舞うだろうか
- 違うと思う
- 各種内部センサー(血圧センサー、酸素・二酸化炭素センサー・pHセンサー・血糖値センサー)なども、「物理・化学的」測定の要素と、それを『行為(体内の各種反応)』を起こすかどうかのための信号として利用する要素がありそう
- フィードバック系を整えているかは、それが、「フィードバック」として構築されるだけの、「生物反応上の因果関係」として「個体」が認識するくらいの「生物にとってわかりやすい関係」かどうか、によるだろう
- 「生物が生きていくときに『因果関係』として認識できる『生物にとってわかりやすい』関係」というのは、数式的にわかりやすい関係と同じなのか違うのか、違うとしたら、どこがどう違うのか
- 話が少し、飛躍するけれども、抽象的な(感)覚も各種内部センサーの一つのように思われる。それが「生物反応上の何かとリンクしているかどうか」が「直観的なわかりやすさ」と関係するのかもしれない