射影変換と複比保存とで考えること〜トンボ・モグラ・ゾウリムシの統計学とは〜
- 2次元空間で2変量が常微分方程式で定められた変化を状態空間に作るとき、それを、という写像し、単位時間ごとにその写像の座標を記録をするる、複比が保存されるという
- 何かしらが保存されているとき、そのようなパターンを繰り返しインプットされると、そのパターンに意味を付与するようになるだろう、生物としては
- 自然現象で、このような記録が提示されることが、少なくないとしたとき、そしてそれは少なくなさそうだが、「複比保存シグナル」を提示されると、「2変量常微分方程式」とはわからないなりに、「よくあるパターン」と感知することができるようになるだろう
- (ヒトの)シグナル処理系はその程度には優秀な並列データ処理システムであるから
- こう考えたときに、2つ(か3つ)気になることがある
- (1) 「その複比保存」を感知する神経(なのだと思うけれど)のデータ処理構造はどうなっているのか。そしてそれと関係するが、「2変量」ではなくて、もっと複雑だったとき、「●●保存」を感知しているのか、もっと何か違う「何かの共通性」に反応することができるようになっているのか。そもそも「共通性」は数学的に(数学という意味で、一般化したレベルで)表現できる何物か、なのだろうか、ということも気になるところ
- (2) 「視覚」はヒトにとって非常に大きな情報処理システムなので、「視覚情報処理系」が「幅を利かせている」のだが、それが「線形・直線」などの特殊性を(必要以上に・真実以上に)推し進めているのではないか、ということ。「視覚情報処理系」が「線形・直線」を扱う、というのは、(ほぼ)等間隔に並んだ光センサーとその背後に潜む、差分・差分の差分・線形変換をする神経構造とともに扱うことを言っていて、ヒトの視覚は、3次元空間の直進的物理存在であるところの光を感知しつつ、2次元網膜に写像することを前提にしている。これらが、すべて「線形・直線」の優位性を作っている(らしい)。そのうえで、それが1次線形関係を気にすること、線形代数を気にさせる温床を作り、さらに、線形代数処理の効率化をもたらし、それがさらにデータ解析の世界で「直線・線形」の優位をもたらしているという、「悪循環」を作っているのではないか、ということ。それと一線を画するのが、聴覚系のスペクトル分解なのではないかと思うけれども、データマイニングでは、「聴覚系」は旗色が(悪くはないが)薄い
- (3) 逆問題的な意味ではどうか。「ルール」があって現象が起きている。それを「感知する」ときには、射影するとか、そんな感じで情報が減じる。しかしながら、十分な量のデータレコードが得られれば、多少の乱雑項があっても、「ルール」を見出せる、というのが、「統計学・データマイニング」なのだけれど、『本当に』情報が十分な密度・件数で与えられれば、「逆問題」も解けてしまうのだろうか…。ここで言うところの「解ける」というのは、「正解」をすべて明らかにすることなのか、「ここまで言える、と言う程度、曖昧なルール」にすぎないのか、その「ルール」が曖昧とはいえ、それよりも「ちゃんとしたルール」が知りえないのであれば、「不満を感じることさえない」のではないかと言う意味で、「(不完全であると認識しえないという意味で)やはりちゃんとしているルール」であって、それがわかるのではないか
- というような…
- こんなことを考えると、データマイニングって、もっと圧倒的に自由なのではないかと。たとえば、複眼生物の統計学、とか、モグラ・深海魚の統計学、とか、ゾウリムシの統計学とか