状態に安定することと、興味ある形質

  • 生命体が生命体として存在しているとき、複数の(多数の、膨大な多数の)要素が作用しあっている。要素同士は、協調しながら、足を引っ張りながら、相互の作用が一定範囲にとどまることから、生命体の「特徴」である「形質」が観測可能になる。観測するのに適さないほど短時間しか出現しない状態や、一過性に出現し、再現しない状態、繰り返し出現するとしても、その出現規則が複雑すぎるものは、「特徴」「形質」として認知されない(されにくい)。経時的には、認識可能であっても、識別に高すぎる感度を要求するような微細な変化も、認知されがたい。
  • 研究の対象となる形質は、上述のような「認識閾値」を越えた、時間的にも空間的にも、物理・化学現象的にも、『十分に粗大』であるものである。生命現象の観測には、「物理実験」「化学実験」を用いており、「生物学特有の観測」は存在していないだろうか?表面的には「生物学的」であるとしても、その「実験としての体系」は「物理・化学」に基礎を置いているか、という質問と同義である。
  • 実験・観測の基礎、ということはさておき、『粗大な』現象を『観測可能な形』に定義してあるか、ということ。
  • 生命現象は、非常に多くの側面があり、それらの観測形質側面同士には、関連の強いものと弱いものとがある。
  • すべての形質は、生命現象という多次元の変化に関する、特定の観測写像である。
  • すべての形質は、生命現象という多次元の変化において、閾値以上の安定度を持っている、一過性の準定常状態である。準定常状態という単語の意味するところは、生命体は、必ず、生命体でなくなる(死ぬ)という観点から、完全に安定な状態を取りえない、と考えるのが適当だからである。
  • 準定常状態は、ポテンシャルのさざ波のくぼ地として存在する。死は、生的準定常状態の水面の広がりを途切れることなく囲んでいる辺縁であって、そこには、「滝」がある。昔の「世界地図」のようなものを考えればよい。