「先生ならどうしますか?」というベイズ
- 医療において選択肢があるとき、「インフォームド」して「さあ、選びなさい」という場面を作ることができる
- 「途方に暮れるヒト」というのは居る
- 自分自身も決められずに困ることがある
- そんなときに「先生、決めて下さい」という展開になることもなくはない
- 自分自身、「先生ならどうしますか?」と訊ねることもある
- 「先生」に下駄を預けたり訊ねたりせず、誰か「信頼するヒト」にそうすることもある
- 子供が親に、親が子供に、配偶者に、など
- その「信頼するヒト」って何かっていうと
- (1)選択肢の事前確率
- (2)情報がもたらす尤度比
- (3)複数の選択肢がもたらす複数の帰結の期待生起確率が選択肢別に出たときに、帰結に重みをつけて、スカラー値を返す関数
- という少なくとも3つの要素があって、
- (1)事前確率について自分より正しい知識を持っていること
- (2)情報を用いて事前確率を事後確率に換えるその尤度・尤度比の計算が自分よりも正確であること
- (3)自分の重みづけ関数と似通った重みづけ関数を持っている(もしくは自分の重みづけ関数を想像してそれを使ってくれる)
- という条件の3つを勘案して、「自分で決める」よりも「より正しい判断をしてくれる」と期待される、ということのようだ
- (1)と(2)は区別せずに、それの複合としての事後確率に関して正しい知識を持っている、ということに丸めてもよい
- (3)の重みづけ関数については、もし、帰結が2種類しかなく、その2種類にはX>Yしかありえなくて、X
- 逆に言うと、同一の事後確率情報が与えられたときに、選択に個人差が出る場合というのは、上記のような帰結パターンであることを要求する(らしい)ことがわかる
- 選択にばらつきが出てほしい場合にどのような帰結設定をする必要があるか、という観点から、とても興味深い