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- コンピュータを使う練習としてこんなことをしている。
- 整理する。
- 2チームのゲーム
- メンバーの活用の仕方と勝率の関係がテーマ
- もう少し抽象的にする
- 資源があるとする
- 資源は有限であるとする
- 変えられることは、資源の使い方だけとする
- 1個体の生命現象に着目する
- 成体は、「現状維持」をすることが目標
- ゲームをしているとみれば、「現状維持」を脅かす「敵」との戦い
- 「敵」に対して、自己の資源をどのように使うかが戦略
- 「敵」の例
- 物理的なものの過剰・過少・アンバランス:温度・圧力・光(紫外線)
- 化学的なものの過剰・過少・アンバランス:空気成分・水成分・浸透圧・酸塩基・栄養成分・毒成分
- 生物学的なもの:捕食者(病原微生物を含めて)・共生生物・寄生生物
- 内なるものの過剰・過少・アンバランス:形・機能・自己管理(癌)
- 「与えられた」資源は何か
- 個体を構成する化学成分
- 個体を構成する物理資源(大きさ・重さ・温度・(形はここ?それとも数学的資源??))
- さまざまな個体内ネットワーク
- 「成体」でないとき:「発生・成長段階」「老年」
- 対象が「個体」ではない場合
- 個体が作る集団
- 個体を構成する部品
- 自分としては、日ごろの題材ではなく、全く異なる話題(グリコのゲームや野球のシミュレーション)で頭を使うと、色々なことを想うことになるので、大変、良い。
- ただし、それは、自分が頑固になりがちだからであって、学生がそれでよいのか、と思わないわけでもない
- けれど、大学の教養教育が専門とは異なる幅広さを提供し得ていない(提供はしているけれども学生が活用していない…)こと、「カリキュラム」以外の学生の生活全体が、心と身を耕しているのかもよくわからないこと、大学より前に土が熟成できているのか、そして何かの種が撒かれ発芽しかけているのかもよくわからないこと、などを想うとき、失われた(のかもしれない)教養の挽回として、専門とは異なる題材で『のびのび』やることが大事なのかもしれない。自主性が一番だから…。(文部科学省のゆとり教育みたい。教育学問はもっと激しい(厳しいではなく)ものだから、『のびのび』やるのとも違うように思うけれど・・・。いずれにしろ、文部科学省は勉強好きのヒトが仕切ってほしい・・・。『勉強は楽しい、という一線』だけは譲らないでほしい・・・)
- 自主性をどう表現するかは棚上げにするとして、いずれにせよ、それは、自分(自分たち)で勝手にのめりこめばよいことである。のめりこまなければ、そもそも始まらない。
- のめりこむことと、のめりこむ対象に関して、別の点から見るとする。
- 「本当に」『それ』がのめりこむ対象なのか、「本当に」のめりこむかもしれない対象にのめりこむことへの躊躇とその躊躇の元である自己保身(護るべきものが何なのか不明だが)が形を変えて立ち現われている対象が『それ』なのではないか、ということの方が本質なのかもしれないが…。
- そう思うと、教員とのやりとりは、もう少し題材が専門的であるほうがよいのではないかと、思い返さないでもない。
- 難しい。
- 結論の出るはずのない話題(自分にとっての結論は出る(出ている)。他人にとっての結論は自分が出すはずもない)。